「マイルール(型・フレーム)」を決めれば、色々と捗るのです
型。ちょっぴりインテリに言うならば、フレーム。
家には土台や基礎工事をしなければ完成しないように、話にもそれらが必要です。いえ、必ずしもとは言い切れないにしても、起承転結という熟語が示すように、疑問定義やその解決が常に必要になります。日常会話だってそうでしょう。オチ(解決)の無い話には、ただただ唖然呆然。で、何なの?と。
私のブログだってそうですよ。閲覧者置いてけぼりの自画自賛レベルな記事が多くを占めますけど、なぜかアクセス数が多い記事だって存在するのです。それらが果たして起承転結の上、真っ当なものであるか、と問われれば…ちょっと首をかしげます。それでも「あれが分からぬ」から始まり「こうでした」、そして「私なら」というような流れは意識し…てはいるのですけどいかんせんうまくいかんばい。ぶぉい。
型(フレーム)は、自分が楽になる「ルール」
こちらの
ライフハッカーさんの記事では話を面白くするコツとして
おもしろくて「感動する説明」が重要だといっても、実際のところ、それを実現するのはなかなか難しそうにも思えます。
ところが著者は、そんなことはないと断言しています。なぜなら「感動する説明」には、誰にでもすぐ使える「型」があるから。
と提言されています。この型を使えば、なんと誰でもおもしろく説明することが出来るそうな。しかし、これは掲載されている本を読み、そしてしっかりと理解してからのお話になります。いかんせん全文がネットに掲載されているわけでもないですし、それは購入者のみの特典(というか目当て)であるため、そういったコツが伝授されるわけではないのですけども。
しかし、よくよく考えると、この「型」というのは著名な方々も意識して行っているもの。普段日常から簡単に始められるお手頃な手段の一つ。これさえ試せば日常がちょっぴり楽になる、裏技的な何かであると言えましょう(某IT起業経営者の「同じ服を複数枚用意し、毎日同じものを着ることにより日常的な選択肢を減らす、的な)。
マイルールの重要性
マイルール、とは言っていますが、あくまで「特定の何かを実行する際のルール」を示していることとしますね。
先述した同じ服を~の件については、朝起きて、服を選ぶ、という行為自体そもそも時間がもったいない。そしてそれに労力をつぎ込むことすら勿体ない、という考えの基にそうした、と私の中で記憶しています。その日常的に行わねばならない選択肢を意図的に減らすことによって、他の部分にその分の労力をつぎ込むことが出来るのだとか。私も知らぬうちに「服は一巡するまで同じものを着ない」ようにして早数年(ざっくり過ぎる)。正直、実感は何も湧いていませんけど、考えることが少なくなったという点については何かしらの成果が出ているのやもしれません。まぁIfの世界は知らないので比較なぞ出来やしませんけども。ただ、確実に「時間の節約」にはなっていると思います。
こうして考えるとマイルールとは、労力を減らすこと以上に、有限である時間の節約にもつながるものであることが、はっきりと分かります。もちろん、記事の通り効率的な講義の組み立てにも欠かせないものであったりと、仕事自体にルールを用いることも可能ですし、そうしたことにより楽になることだってあります。その楽こそが、無駄に時間を割いて一から作り出すよりも、度重なる試行錯誤によって編み出されたルールや基盤にならって作るほうが、考える範囲が狭まります。
もちろん、状況によってルールその2,その3とバリエーションもいくつか用意したほうが、完成度や柔軟性、対応力も万全になるでしょう。まぁそういうものを用意し、しっくりくるようになること自体がちょっぴり大変ですけど。初期投資は試行錯誤大変ですけど、作っちゃえばあとは応用するだけ。
…とは言え、作る必要性に気付くこと自体が最も大変な案件だったりします。だからこそ、常に「もっと効率的な方法…ッ!」と勘を働かせるなりしなけりゃあ、いけないということでございます。それはそれで、なんだか疲れるなぁ…。