反面教師は、ここにいる

他人の失敗から学ぶ事。それが一番大事。

「諦め」ではなく「手放す」ことも大事

 使命感に駆られる。私たちが生まれたことには何か意味があるのではないか。その意味とは、現世において何かしらの使命を背負っているのではないか。

 

 そういった中二病意味を見出す人生でも、悪くは無いと思うのです。

 

 しかし、そんな答えの出ない事を考えていてもラチがあきませんし、逆に自分を苦しめてしまう場合だってあります。人生の意味を考えること自体が非常に頭を悩ますものですが、ほか身近なところで深く意識し過ぎて辛くなるのは「夢」でしょうか。こうでありたい、こうしたい。そういった自分自身が憧れる将来像。あまり意識し過ぎると、それはそれで首を締めるかのように大変です。

 

 自分はこうありたい、こうでなければならない、そういった規定概念的なものを手放すことにより楽になれる、というお話。

 

 

自分が思うよりも、前に進むことは難しい

 何にしてもそうですが、思い通りにいかない事なんてたくさんあります。たくさんありすぎて、世の中世知辛いなと思うほどです。辛い経験をたくさんすれば、いつか幸運が巡ってくるとか、そう簡単なものでもないのです。

 しかし、努力が報われるというのはその中でも可能性が非常に高いもので、逆に努力しなければ見えてこないものだってたくさんあります。何かしらの達成感や、優秀と判断されれば表彰だって有り得ましょう。だからこそ、人は常に一心に励み、取り組むことが出来るのです。

 

 すぐに役立つ!心理学講座さんの記事です。

 

 努力は人を裏切らない、とはどこぞで聞き覚えのある言葉ですが、そうはならない場合だってあります。どんなに全力で、どんなに時間を費やしていたとしても、いつか限界が見えてしまう時だってあります。

 そんな時、どうすれば良いのでしょうか。

 

 そう!手放せば良いのです!何が「そう!」なのか。

 

 抱え込んでしまっている事柄を手放すことにより、こういうメリットがある、とされています。

 あなたが、「こうでなくっちゃ!」という気持ちを手放せると、あなたも自由になりますが、相手や周りの人たちも、自由になります。結果として、物事がまた「フロー(流れ)」に乗りやすく、例えば恋愛関係だと、再び二人が「いい」コミュニケーションを重ねることができ、関係性が劇的に良くなります。 

 時間を費やし、頑張ってきたことを手放すことは大変ですし、手放した後にポッカリと穴が空いたような、何か失った感じがするでしょう。ただ、その分費やしていたことが無くなることにより、その分自由になれましょう。また、一度手放したからと言って、もう戻れないということでもなく、むしろ一度距離を置けたのだからもっとより良いアイデアなどに恵まれることだって有り得ます。

 このことから、根詰めすぎたことを一度手放す、というのは意味のあることでしょう。

 

 

 

 

 手放すことと諦めることは別の意味です。

 続けるか、諦めるか。その二者択一で事を進めるのは視野が狭い。その中間くらいにある一度手放す、という選択肢も入れておくと、尚良い場合もありましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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