反面教師は、ここにいた
早いもので、昨年は2019年4月3日からブログを開始し早1年が経過します。
こんにちは、濃霧 閏です。久々の名乗りよ。
一つの節目を迎えてしまったわけですが、私にとってこのブログというものは、生活の一部と成り果てています。そう、まさかの生活の一部に。三日坊主になるだろう、と考えていたはずなのに、生活にまで入浸かっている有様です。表現の仕方よ。
そんな経緯から、ブログを改めて始めることにし、当ブログは終了となる運びとなりました。感慨深いものもたくさんありますが、ここでの日々はこれでおしまい。
もうここの反面教師はいなくなります。転勤、とでもしましょうか。
1年間、楽しかった
ブログって、読む方からするとどうなんでしょうかね。
私も何か調べ物をする時には、例に漏れずグーグルで検索するのが常なんですけども、その時にやれアメーバブログとか、やれFC2ブログとかヒットする事あります。もちろん、その時は仕事の調べ物をしている時なので要点しか見ておらず。答えが掲載されていなかったらガッカリします。でもですよ、要点しか書かなかったらブログなんて成り立たないじゃないですか。ねぇ?(威圧感
要点と、アクセント的な面白さ。それがブログを続けて感じた「大事なこと」だと今になって理解しています。それが果たして出来ていたか、と言えば、正直全くもって出来ていないと感じています。感じてたら、こう細々としていないと思います(真顔
それでも、こうして自由な事を書いて、そして書いた内容が世の誰かの役に立てていることが分かったので、そういった意味では半端ながらにも楽しさがありました。もちろん、「今日は記事作りたくないな」という億劫な日だってありました。それはさ、だって気分ですもの。まぁそういう日でも書いてましたけど。いわゆるひとつのルーティンワークってやつです。生活の一部とは、このこと。
色々と語りたいことはありますけども、とりあえず私のネット人生これからも続きます。インターネットという無限に見える有限な世界、いつかまたお会いできる日があるかと思います。
この文章、見覚えあるぞと思ったら、私やもしれませぬ。その時はどうぞ、ご愛顧お願いいたします。
ではでは。
「諦め」ではなく「手放す」ことも大事
使命感に駆られる。私たちが生まれたことには何か意味があるのではないか。その意味とは、現世において何かしらの使命を背負っているのではないか。
そういった中二病意味を見出す人生でも、悪くは無いと思うのです。
しかし、そんな答えの出ない事を考えていてもラチがあきませんし、逆に自分を苦しめてしまう場合だってあります。人生の意味を考えること自体が非常に頭を悩ますものですが、ほか身近なところで深く意識し過ぎて辛くなるのは「夢」でしょうか。こうでありたい、こうしたい。そういった自分自身が憧れる将来像。あまり意識し過ぎると、それはそれで首を締めるかのように大変です。
自分はこうありたい、こうでなければならない、そういった規定概念的なものを手放すことにより楽になれる、というお話。
自分が思うよりも、前に進むことは難しい
何にしてもそうですが、思い通りにいかない事なんてたくさんあります。たくさんありすぎて、世の中世知辛いなと思うほどです。辛い経験をたくさんすれば、いつか幸運が巡ってくるとか、そう簡単なものでもないのです。
しかし、努力が報われるというのはその中でも可能性が非常に高いもので、逆に努力しなければ見えてこないものだってたくさんあります。何かしらの達成感や、優秀と判断されれば表彰だって有り得ましょう。だからこそ、人は常に一心に励み、取り組むことが出来るのです。
すぐに役立つ!心理学講座さんの記事です。
努力は人を裏切らない、とはどこぞで聞き覚えのある言葉ですが、そうはならない場合だってあります。どんなに全力で、どんなに時間を費やしていたとしても、いつか限界が見えてしまう時だってあります。
そんな時、どうすれば良いのでしょうか。
そう!手放せば良いのです!何が「そう!」なのか。
抱え込んでしまっている事柄を手放すことにより、こういうメリットがある、とされています。
あなたが、「こうでなくっちゃ!」という気持ちを手放せると、あなたも自由になりますが、相手や周りの人たちも、自由になります。結果として、物事がまた「フロー(流れ)」に乗りやすく、例えば恋愛関係だと、再び二人が「いい」コミュニケーションを重ねることができ、関係性が劇的に良くなります。
時間を費やし、頑張ってきたことを手放すことは大変ですし、手放した後にポッカリと穴が空いたような、何か失った感じがするでしょう。ただ、その分費やしていたことが無くなることにより、その分自由になれましょう。また、一度手放したからと言って、もう戻れないということでもなく、むしろ一度距離を置けたのだからもっとより良いアイデアなどに恵まれることだって有り得ます。
このことから、根詰めすぎたことを一度手放す、というのは意味のあることでしょう。
手放すことと諦めることは別の意味です。
続けるか、諦めるか。その二者択一で事を進めるのは視野が狭い。その中間くらいにある一度手放す、という選択肢も入れておくと、尚良い場合もありましょう。
セッカチによるイライラを抑える方法
人生は有限。有限だからこそ、貴重であって、無駄にしてはいけない。
そんな考え方が行動に現れてしまうのか、せっかちという性格があります。早く終わらせて、次のことに取り組もう。早く!早く終わらせたい!などなど、私にも思い当たる節がとんでもなく多くあります。結果至上主義な世の中ですから、こうして数多くのことを短時間に経験しなければ、結果に繋がらないのではなかろうか、という不安もきっとあるのでしょう。
しかし、このセッカチという性格に振り回されると、イライラも募ります。募り募った結果、ストレスが溜まるなどの悪循環に陥り、自分をコントロールすることさえ出来なくなることだってあるでしょう。嫌ですよね。私だって嫌です。
そんなセッカチによるイライラを軽減出来るとされる方法がありましたので、ご紹介します。
状況を具体的に捉える
仮に会議の時間に遅刻した方がいたとします。
ライフハッカーさんの記事です。
抽象的に考えると“その人はこちらの時間を大事にしていない”とか、“この会議を重要だと思っていない”などと考えて腹が立つかもしれません。
(中略)
しかし、“電話番号を間違えたのかもしれない”とか、“先に別の電話会議があったのかもしれない”と考えると嫌な気分になりません。
私たちは見ず知らずの間に勘を働かせ、アリもしない被害妄想を膨らませていることもあります。こうした負のイメージって、よろしくないですですよね。それを持つことによって、今後その方との関わり方だって変わりましょう、イメージだって悪くなりましょう。
そういった抽象的なイメージを持つことよりも、具体的な理由を考えることが、イライラを抑制し気分を害さなくなるのだそうです。今回の例では、何かしらの事情があったことから会議に遅れてしまったとか、むしろ連絡が出来ない何かしらの事由があるとか。ね、こっちのほうが悪いイメージ感じないです。こっちのが、相手との今後だっておかしくならずに、円満に事が運べられるってことです。
ほかにも、そもそもそういった抽象的な考え方に至る前に、何かしらやることを備えておくとか。読書や音楽に限らず、何かしらのアイデアや明日の予定のことだとか。私はまだまだセッカチを飼い慣らすことが出来ていないために、なんとも思い当たる改善策が無いのですが、こうすればきっと、上手いこと行くのではないでしょうか。今後、ちょっとやってみたいですね。
ということで、本日はセッカチなお話でした。
セッカチなこと自体、悪いことじゃあないですし、それ故に効率的にすることが出来るというメリットも数多くあるでしょう。ですが、度の過ぎたセッカチほど、身を滅ぼすことも無いとは思います。だからこそ、そのセッカチを巧みに操る手段も、控えておくべきではないでしょうか。
今が一番大事
昨日より今日、今日より明日。
人にとって過去、現在、そして未来についての考え方は様々であります。それゆえに、その3時点に関する名言や迷言も数多く存在しています。
基本的な考え方として、昨日と今日とでは今日のほうが一日多く経験しているがゆえに多少なりとも昨日よりも成長しているはず。そして今日よりも明日のほうが一日多く経験しているために、明日のほうが成長している、というものだと思います。
しかし、困ったことに記憶力と言うシロモノは、時間の経過によって忘れるという構造であることから、「去年よりも今年」という考え方によっては「去年よりも退化している」なんてこともあったりします。まぁ、忘れることが出来るからこそ、辛いことから開放されるメリットが活きるわけですな。
過去との比較は置いといて。これから行う物事については、どういう考え方が好ましいのか。ちょっと調べてみます。
未来よりも、今日に価値がある
忘れてはならないのが、今日があるから未来がある、ということ。今日練習したことは、明日出来るかもしれない。しかし、その練習を怠った場合には、明日はきっと出来ないでしょう。
だから、明るい未来を待ち望むよりも、その明るい未来を迎えるためにも今日から頑張れよ、というお話です。単純ですね。
ライフハッカーさんの記事です。
同じものでも、1週間、1カ月後のものよりも、現在に価値をおく
仮に来月、とある予定が入ったとしましょう。それが仮に「来月ではなく、明日であったとしたら」と考えた時、その予定を受け入れるでしょうか、というお話。もしそれでも受けたい、という考えだったとすればそれで良し。明日ならいいや...と思ってしまえば、受ける必要がないというもの。
この考え方は、生きていれば数多くあるチャンスの選択に優良な考え方のようです。複数のチャンスが巡り巡ってきた時、あれ、どれが大事かが分からない。ゆえにどれを受け入れれば良いのか分からないと。そういったこと、ありますよね?実に羨ましい、私はどちらかと言うと、チャンスにはあまり恵まれていないような人間ですので、そういった幸運を少しでも分けて頂きたいところです。おこぼれ、ちょうだい。
また、注意事項として
当然ですが、これはすべてに当てはまるわけではありません。今すぐ楽しみだと思わないものでも、いいチャンスはあります。
明日なら受け入れたい。そう思わないものであったとしても、結果的に自分が成長するであろうチャンスになり得る可能性もあるのです。そりゃあ、苦い経験の結果成長出来るパターンも有り得ましょう。そういうことです。
未来のことなんて、誰にも分からないのです。
だからこそ、自分自身が一番後悔しないであろう選択を、常にとっておきたいものですね。
あぁ、あの時こうしていれば良かったなぁ、だなんて振り返りたくないですもの。内容にもよりますけどね。
忙しい人の時間活用術
忙しい。あー忙しい。
仕事のある日はとにかく忙しいですよね。特にお子さんのいらっしゃるご家庭であれば尚更のこと。ご飯の支度やら子供を起こしたりお弁当の準備、そして子供たちがしっかり支度を進めているかの確認云々。こうして大人になった今となっては、もっと素直にしていれば、親に苦労をかけなかったんだろうなぁ、と思う節がちらほらと。
人間って、こうして成長していくのですね...自分で言うなよと。
忙しい人のための時間活用術
というわけで時間を有効に活用出来る術を見つけたのでご紹介します。
仕事や私生活上でも使える有効な方法です。タメになったねぇ~、とは懐かしい。今何してるんでしょうね。
ライフハッカーさんの記事です。
隙間時間は“ほんの少し”の工夫で、つくることができるのです。概ね、1日に2時間ほどの隙間時間はつくることができるでしょう。
内容が気になって参りました。
では、気になった点を見ていきましょう。
あえて時間のかかるほうを選ぶ
これ、意外でした。極論、時短時短で最短となる手段ばかり選ぶじゃないですか。そうすれば短くなった時間で他のことを処理出来る。それが私の中では当たり前だったので、ちょっとびっくり。
どういう意味があるのか、
たとえば、あなたがコンビニのレジに並ぶとき、列の短い方に並んでいませんか?普通はそうだと思いますが、あえて長い列に並んでみてください。その間にメールを2通は打てるはずですよ。
時短かどうかで選ぶとなれば、確かにすぐお会計に進めそうな短い列に並ぶのが常。考えてみると、確かにこっちのが隙間な時間が有効的に活用出来るな、と考えさせられました。
仮に、
・短い列に並んだ場合
→お会計待ち時間30秒
・長い列に並んだ場合
→お会計待ち時間1分
という待ち時間が生じることとしましょう。30秒で出来ることとなれば限られますが、1分もあれば出来ることは増えます。30秒という中途半端で何も出来ない時間を、何もせず過ごすよりも、1分という何か出来る時間を確保し処理出来ることを行うほうが、かしこいやり方。
「会計済む時間が30秒早いんだから、どっちも同じじゃない?」と当初思いましたが、そもそも短い列に並んだ場合は30秒無駄にしているため、そうではないのですねぇ。
切羽詰まった、シビアなタイムスケジュールの際にどうぞ。
時間別で出来ることを、予め用意しておく
隙間時間が出来るのは、いつだって、そして誰だってありましょう。だからこそ、それに備えて「これくらいの時間に出来ること」をリスト化してまとめておくのも一つの手である、とのこと。
隙間時間が1分の時には◯◯と□□が出来る。10分の時には△△や✕✕が出来る、といった具合。その隙間時間が果たしてどれくらい生じそうなのか、という見積もる力も必要になりますけど、どれくらいかかるか分からない場合にはすぐ出来る事を数こなせばどうということはない、というお話。
考えてみれば出来ることをまとめておく、というのは非常に効率的なことですよね。
以上、時間活用術でした。
本当に忙しすぎてどうしようもない場合、根気詰めすぎて休む暇も無いほどに行動しなければなりません。しかし、
人は何もしない時間で良案が見つかる、というメカニズムがあるようです。以前、記事にしたのですが実際に脳科学的な分野でも判明しているとか、していないとか。
そういう事もあるので、極力はそう多忙になる前に解決していきたいところですね。
どうしようもない場合が、実際は多くありますけども...。