反面教師は、ここにいる

他人の失敗から学ぶ事。それが一番大事。

インターネットは「終わらない」

 私たちはいつだって、一つの終焉を望んでいる。

 その終焉とやらは、根底から遂げる場合もあれば、果ては表面的なものへ向けられた意味合いの場合もある。誰しもが終わりを望み、そして新たな始まりをも望んでいるのだ。

 何が楽しくて終わりを迎えたいのかはよくわからない。それでも、自称あるいは一般的な一専門家までもが身勝手な推測を立てたがる。それが一つのビジネスであると気づくのはノストラダマスムスによる2000年問題を思い出せば、理解に及ぶでしょう。まぁ、彼が果たしてこの情報化社会となるところまで予知出来ていたかまでは、到底私には分かるはずがないものですけども。

 

 

インターネットは何度、終わりを迎えているのか

 さてさて。本題であろう(希望

 まずはコチラの画像をご覧頂きたく。

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 お察しの良き方には言わずもがな。「インターネット 終わり」で検索した結果です。なんと3億件ものサイトがヒットしています(もちろん、全部が全部そういった類の記事ではないでしょうけど)。皆、どんだけインターネット終わらせたいんだよと。そんなにインターネットが嫌いか!そうか!私も嫌いだよ!(自暴自棄

 

 中にはサイトだけではなく書籍なんぞもあります。インターネットの終わりを見据えて紙媒体の書籍を発行。確かに筋の通ったYARIKATAですな。

 

 

確かに「繁栄」は終わったとは思う

 私はインターネットの博識なんかじゃないので、あれダメこれダメなんて言えたタチではないですけども、インターネットが終わった、という例えはよく分かりませぬ。いえ、もしかすると一部のコアな利用者のみで作られた、あのちょっぴりダークな時代...だったのかはわからないですけど掲示板が主流だった頃は「終わった」でしょう。一時代的な意味で。

 また、その垣根を超えて誰しもが利用できる一架空世界として、とんでもな勢いで繁栄していった時代も終わりを迎えたことは否定出来ないでしょう。なぜって?感覚的にですよ。

 ん、こうかな?これまでは「いかにインターネットに利便性を求めるか」に着目されていましたが、今の流行に弱い世間の関心は「AI」に向けられ、博識な技術者様方もAIの発展に尽力されているからでしょう。

 

 インターネットはあくまで「架空的な世界」であり、物理的な施しはありません。けれども、そのインターネット云々を活用出来る「AI」が発展することにより、物理的な恩恵を受けられるようにする。AI技術を搭載した何らかの機械によって、例えば家事を全部してくれるとか、近いところだと自動車が全自動運転になるとか、そういったドラ○もんのような世界を目指しているのでしょう(他人事

 

 そういう意味では架空世界であり、物理的な干渉が無い「インターネット」は終わりを迎えた、と言われても違和感はないですよね。もちろん、その前提として先述のような説明がなされた場合には、ですけども。

 

 

 あれ、どうしよう。記事タイトルと真逆の結論に至ってしまった。あー、ァー。

 

 

 

それでもインターネットは終わらない

 インターネットが過去の遺産となるか、そう問われれば私はNo、と答えます。それは今日現在でも、こうして快適である生活を支えているからです。分からないことがあれば調べることも出来るし、ネットの友人とだって、いつでも繋がることが出来ます。友達いないけど。

 

 

 そんなこんなで、終わりを懸念している方々。

 大丈夫。きっとインターネットは、終わらない。

 

 

 

 

 

 

 

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