反面教師は、ここにいる

他人の失敗から学ぶ事。それが一番大事。

自由を求めてプライベートなインターネット空間を作っちゃうギリシャ

 あぢー。とにかく暑いです。

 デスクトップパソコンから出る熱気もあり、お家が暑すぎます。とは言え、夜に窓を開けるのは、虫にお邪魔されるのではないかと不安になってしまう為積極的になれず。いつだったか一度、そこそこな大きさの蛾にお邪魔されたことがあり多少のトラウマ感があります。

 とは言え…暑すぎます。クーラーつけたいです。

 

 

 

インターネットは、自由過ぎる空間

 私が「インターネットって、素晴らしい!」と言わずとも、既に皆様ご存知でしょう。多種多様な情報が腐るほど溢れている空間ですね。しかし、それは良心的な人々や団体によって支えられていることに過ぎません。これらの人々や団体が存在しなければ、フェイク情報に満ち溢れ、今よりも一層混沌とした世界にしてしまうでしょう。そうなれば自ずとインターネット離れが進み、一定の人しか利用しなくなるのではないかと。

 2000年頃の当時、某掲示板管理人が言っていた「嘘は嘘であるとか見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」という言葉。確かに、その通りでしょうな。

 

 その名言について、2017年当時の世間の解釈。リニューアル版として

「ウソを見抜く努力をすることは大前提で、それでも見抜けないことは多々あることを自覚できている人でないと(ネットを使うことは)難しい」

  と仰っている方がいますが、正にその通りでしょうな(2回め

 自分を過信するなと。100%見抜ける自信よりも、見抜けないことが1%以上あることを自負して、いつも用心していることに越したことないのです。

 

 更に深く突き詰めると、2018年には「嘘を嘘と楽しむ人がほぼ消えた」という名言が。「釣られる」みたいなネットスラングにあるように、最初にご紹介した2000年頃は「嘘を楽しむ」人と「書かれたものすべてを信じてしまう」人の2極化が激しかったので(要出典元)、当時から20年経過する今日このごろはむしろ「嘘は書くな(某新聞除く)」みたいになっちゃってますよね。この名言も時世をよく捉えたもの。実にその通りでしょうな(棒読み

 

 まぁ、誰しも自由になんでも出来る、という観点から「自由すぎる空間」であることは昔も今も変わりないです。いや、むしろ出来ることが増えすぎてる感満載です。

 

 

 

更に自由を求めた「プライベートインターネット空間」

 諸般の事情により、どうしても全世界的なネットワークに繋げることに不便を感じていた地域があったようです。

 Gigazineさんに面白い記事が掲載されています。

 ギリシャでは主要なネット回線プロバイダー企業が提供するサービスは、回線速度が遅いのに高額であり、その品質は最低なものでした。高額な料金を求める企業に反旗を翻したネットユーザーたちは、2002年、屋上アンテナによる無線ネットワークからなるAthens Wireless Metropolitan Network(AWMN)というメッシュネットワーク(メッシュ)を有志で首都アテネに構築してしまいます。

  通常の、全世界で繋がっているネットワークとは別の、「プライベートネットワーク」を構築してしまう、という離れ業。そこには究極に「自由」を求めた人々がいるわけで、その和を乱すようなことも無さそうです。おったまげたなぁ…。

 

 

 

 

 

今回の教訓

 顔が見えないからと言って、自由気ままにやりすぎるのは良くないです(戒め

 

 

 

 

 

 

 

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