デマ情報のリツイート問題
職場の上司が度々「俺、友達いねぇんだわ」と言ってきます。とてもユニークな方で、個性的でもある彼にとっての友人の定義はきっと、休日や仕事終わった後に飲みに行くとか、そういったことでしょう。さすれば私も友人なんてほぼ皆無に等しい人間であります。うわぁ、考えなければよかった。無性に悲しく切ない。そう感じる次第です。
フォロワー増えたよ、やったねたえちゃん!
相互フォロワーを友人と同意義に見てはいけない、これは教訓です。友人とは嘘を見抜けるような間柄であって、こう、気のおけないものでなければならんのです。
…とツイッターアカウントがほぼ死にかけている私が物申しています。
ツイッターが死んでる私としては、正直ツイッターに時間を要するメリットやデメリットなんてものを考えることが出来ないのですが、少なくとも私にはそういった時間は割に合わない、と感じているところが事実。いえいえ、きっとやってみると楽しくて仕方ないのでしょうし、そういう輪に入れない異邦人的な立ち位置にいてしまう自身に対する葛藤かもしれませんけども。
記事中では
SNSでの友人が多い人ほど、体験を共有したいと考える傾向が強く、リツイートに慎重さが必要になる。
と指摘されています。
リツイートに慎重になる、という意味合いが果たしてどうなのか。どうすれば誤爆を防げるのか。その点については明確な言及はしていませんけど、要するにアレですね。出典元となる情報を集めることが大事なんじゃあないかと。しかしながら一々確認して「よし、信頼性のおける情報だ」と確認しながらリツイートする人がどれほどいらっしゃるのでしょう。むしろ逆に「嘘だと分かっててリツイートする」というケースもあるでしょうし、そうなると一番良いのは「紛らわしい内容を判別出来る認識力」が必要になるのではないか、と思います。いえ、きっとそうに違いない。違いないのです。
これからのネット社会。求められるものは「他人に迷惑かける行動を慎むこと」ではなく「自らが適切な判別が出来るようにすること」だと思うのです。
…そう考えると、
ですよね。
…togetterから引用する私。どうにも矛盾しているような気が。
見抜けよ、諸君(何様
来年も、よろしくどうぞ。