反面教師は、ここにいる

他人の失敗から学ぶ事。それが一番大事。

新年迎えたので日記

 無事、2019年もやり遂げ、2020年を迎えることが出来ました。

 やり遂げられなかった事もいくつかありましたけど、体調面では大病を患うことも無かったことですし、良しとしましょう。年始からポジティブシンキング。今年は良い年になる予感。ビビッと来てます(何が

 

 

年賀状の不思議

 ここ数年は無縁だった年賀状。数少ない友人から「年賀状送るから住所教えてよ!」と言われ、ホイホイ住所をお伝えすることに。もちろん、私からも送らなければ、と思い伺うと、ホイホイ教えてくれました。ゴキブリじゃないよ。

 

 そもそも年賀状の起源を調べてみると、1月1日の消印が欲しいとか、やはり一年の感謝を申し伝えたい。そういった意味合いが深いそうな。正直、数年も年賀状とご縁なければ、そんな挨拶も全くしなかった、という無礼者の烙印を押されていたに等しいわけですけど、そこは大目に見てあげると喜びます、私が。

 

 しかし、良いものですね。年賀状。意外にも「あれ書きたい」とか「これ書いとこう」とか。こう「どうしよう」という困惑する事なく、楽しんで書けました。まぁ一枚しか書いてませんけども。

 

 

せっかくだから抱負でも

 今年一年の抱負、と言えば誰しもが思い浮かぶもの。私も例外ではなく、「あれやりたい」「これに挑戦したい」とか多々思っていることがあります。しかしながら、昨年いつぞやに決めた抱負だって達成したものは僅かですし、ぶっちゃけ「抱負なんて無くて良いんじゃないの」とすら感じている次第です。

 いや、抱負自体は思い浮かぶけど、それを念頭に入れてしまうと他の大事なことに注意を向けられなくなるんじゃないかなぁ、と言い訳考えているわけです。どやぁ。

 

 というわけで、今年の抱負は「抱負を作らない」ことです。どういうこっちゃ。

 

 

新年を迎えることが悲しい

 2019年が最高の年であったか、と聞かれれば首を振る方向に悩みますけど、今年はなんだか年を迎えることに悲しさが募ります。ん?今年だけじゃないか。いつだって年越しは悲しく感じるところです。

 本来(大多数の方々)の考え方がどうなのかは分かりませんけど、私は切なく、それでいて悲しい感情が勝ってしまうわけです。たぶんこれが「年越しロス」です。今作りました。もしかすると「年越し鬱」とかもあるかもしれない。いえ、むしろ「サザエさん症候群」があるくらいだから「年越し症候群」としたほうが無難かもしれませぬ。「年も越したし、もうすぐ仕事かぁ...」的な。

 ちなみに職場の上司は勤務日の3日前辺りから気持ちが億劫になるそうです。どうでも良いか。

 

 

今年もよろしくお願いします

 そんなこんなで、今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

 昨年は謎の停滞期(更新しない日々)がありましたけど、今年はほそぼそとでも更新続けていけたらいいなぁ、と思う所存です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

f:id:nishi-higashi:20191231174936j:plain