性はオープン?それともクローズ?性別不適合…?
連日の高気温で強制的に新陳代謝が行われている現状ですが(汗だらけで気持ち悪いです)、久々に天気予報をチェックすると…どうにも今後7日間は少なくとも30度超えるとのこと。
昨日は車に乗り、エアコン付けながら炎天下を凌ぐという暴挙に出たわけですが、今後も継続した高気温が続くということなので、私の敗北が決まったようです。一週間は耐えられないよ…。
タブーかもしれないけど、性のお話
私達が住まうこの日本では、性に関しては比較的クローズであると思いますが、他国を見回せばヌーディストビーチだなんてのもあるわけでして。
オープンか、それともクローズか。ここで言うオープンというのは直球に「セックス」のお話です。現代ビジネスさんの記事をちょっぴり引用しますと
フィンランドの場合
「フィンランドにはサウナ文化がありますが、男女が裸で一緒に入ることもあるくらい性に開放的な国です。それがきっかけで関係が始まることもあって、浮気は結構多い。」
スウェーデンの場合
7歳から性教育が始まり、その段階でセックスの話も聞いているようで、子供たちは赤ん坊がどこから出てくるかも知っています。その後も、セックスは『愛する人と行う大切な行為』『楽しいもの』と教えられます。
女友達のあいだでも、普通に『オナニーの時、どんなバイブを使うのが気持ちいい?』といった会話をします。
英デュレックス社の「浮気率ランキング」によれば、フィンランド、ノルウェー、デンマークは10位以内に入っているが、スウェーデンは圏外に位置している
とまぁ、こんな感じです。
日本とは異なった文化ですよね。でまぁ、それがとどのつまり「ただ開放的」であるのか、そして「秩序の上に開放的」であるのか、というところにも違いがあるようです。
例えば上記引用であれば、フィンランド、ノルウェー、デンマークは浮気率ランキング上位に位置するのですが、同じように開放的であるスウェーデンの場合は上位圏外だそうです。「じゃあどれほどなのか、ということで調べたのですが結果は出ず。一応、各国のランキングがありますので掲載しておきます。英デュレックス社の情報ではない、不倫ランキングではありますけども。
カラパイアさんの記事です。既出の4国をランキング抜粋しますと
デンマーク:2位
ノルウェー:6位
フィンランド:10位
スウェーデン:掲載なし
となっております。やだもー。
話題は変わり、「性別不適合」のお話
私は今回、こちらの記事を拝見して初めて知ったのですが、どうにも男性、女性どちらとも言えない「性別不適合」というのがあるようです。
結構最近の話ですが、「ICD-11」というWHO(世界保健機構)が定める診断基準において、「性同一性障害」が「性別不合」に変更されたようです。同様に、それよりも前にアメリカの診断基準「DSM-V」においても「性同一性障害」は「性別不和」となっています。
この背景にあるものは、「性別に違和感があることは障害や病気ではない。一つの性のあり方だ」という考え方だそうです。
余談ですが、個人的にはICD-11よりもDSM-Vのがしっくり来ます。なんかこう、信頼感があります。個人的には、ですけどね!
ノンバイナリー(Xジェンダー)の存在
少なくとも私は自分の性別について不満を思ったことはないですし、今後もそういうことが無いと思います。しかし、世の中には様々な方々がいる事実に見て見ぬ振りは出来ませぬ。現に「ノンバイナリー」とされる方々がいるのです。
[性同一性障害から性別不合へ](下)私は男でも女でもなかった…50代母が探し当てた「本当の自分」 : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)
先ほどリンク掲載した中の、下の項です。
幼い頃から、自分のことを「私は、女性ではない」と感じていました。性同一性障害という言葉が出てきた時に、「私は軽めの性同一性障害なのかな?」とも思いました。でも、「男性になりたい」と思ったことも、全くないんです。
どちらか一方か、あるいは両方なのか、はたまたいずれでも無いのか。この世に生を受けてから私達人間は「性別」を身体的な特徴からあてがわれていますが、昔から行われてきたこの慣習は、どうにも一概には正解ではないようです。
今回の教訓
少しずれますが、物事にはよく「0か1かに限らず、多様的に考えること」が求められます。ラテラルシンキングの考え方に似ているでしょうか。
その中でも男性、女性という性別も、必ずしも「いずれかでなければならない」というわけでは無いと思うのです。皆違って、皆良い。というどなたか忘れましたが名言があったように思いますが、ほんとにその通りだと思います。
私が個人的に思っていることとして、「人間が勝手に決めた統治的ルール(筆頭として、憲法や法律)に収まらなければならない」という暗黙の了解に染まってはならないこと。むしろ反対なのです。性格や容姿、似て非なる千差万別で様々な人々がいるのですから、それらルールに縛られること自体が難しいことなのだと思います。
人が皆、生きやすい社会になればなぁ、と思います。
(ドヤァ