「カワイイ最強説」に納得せざるを得ないのです
一昔前、「かわいいはつくれる」というテレビCMがしばしば放映されていたような気がします。最近は見ないですね。
初めて「かわいいはつくれる」と聞いた時、そりゃあもう際立ちすぎるこのフレーズに全神経をもっていかれるほどの衝撃を受けました。なんだこのキャッチフレーズ。キャッチどころかガッチリ掴まれるやないかい。
しかしながら、今改めてCMを見ると
時代とは恐ろしいもの。ちょっぴり古く感じます(画質のせいだろうか)。
きっと昭和当時のCMが、今日び古臭く感じてしまうのと同様に、こうして時代の流れによって新鮮味が失われていくのでしょうね(遠い目
かわいい最強説
事の発端はこちらの記事様。
“カワイイ最強説”というのがあるらしいのです。
たとえば、“カッコいい”は“カッコ悪い”の対極にあり、つねに “カッコいい”を保つのは非常に難しいことといえます。
ところが、“カワイイ”と感じさせる要素をもっていたならば、その人がどれだけダメな部分をもっていたとしても、相手はそれを受け入れることができるというのです。
つまり、“カワイイ”はすべてを包括する最強の心理状態だというのがこの説の主旨なのです。
具体例として記事中にご紹介されていたのは「キモかわいい」とか「ぶさかわいい」というもの。また、赤ん坊やペットは手がかかることばかりですが、「かわいい存在であるから許される」ということで別例として挙げられていました。
なるほど、心理学に通じている方が仰ると、まさにその通りだなと腑に落ちてしまうところ。いや、むしろこの常識にようやく気付かされた自分が恥ずかしい限り。確かに言われてみれば、かわいければなんでも許してしまう、という風習は結構ありますな。この派生として(いや、延長線上でしょうか)、「癒やし」というものも存在するわけで。
いやー、これは一本取られましたわ。
今後はとりあえず、お叱り頂いている場面で自分自信の根底に潜んでいるであろう「かわいい要素」をふんだんに出し絞り、なんとか対抗していきたい所存です。そりゃあもう使い切り寸前の歯磨き粉バリに、出し絞る予定です。
でも「(かわいいを)作りすぎるのは良くない
私はちょいとヘンテコな一面があるため、一般論が果たして何かが分からない部類の人間です。そんな私が指摘するのだから、なんとかせい。
こういう「小悪魔的誘惑」によるかわいさ演出は、正直ハマる人にはハマるのでしょうが、どうにも記事にして読んでみると嫌ですね。嫌ですね(大事なことなので2回)。
引用して気がついたのですが、これライブドアニュースさんじゃないですか。
何してるんすか。
という「カワイイ最強説」でした。