反面教師は、ここにいる

他人の失敗から学ぶ事。それが一番大事。

欲しいが買えない

 4月前後は気温が著しく変動する。暖かくもなれば寒くもなる。これが春。そして秋も同様だ。

 この時期の服装は、日によってダウンを着たり、春物のコートを羽織るなどして夏を待つのが通例ではあるが、私の場合は冬物のコートと夏物の薄着しか持ち合わせていない。もう既におかしい。

 

 冬を乗り切るための手段として、まず恒例の某肌着を着る。その上から夏物の薄着を着て、冬物のコートを羽織る。やはりおかしい。周囲が「今日は暖かいね」と言っている一方で、なぜか私だけブルブル身震いをしている状況が何度もあった。

 そして冬に限らず、この時期にしてもそうだ。店内を見渡せば冬物のコート(ダウンなど)を着ている人は明らかに減っているが、私は冬仕込。さすがに浮いているように見えるため、古着屋(中古の洋服店)を偵察しに行くことを度々している。

 

 最近、訪れた店にはかなり好みの洋服やコート(もちろん春物)が多くあり、しかも安価(数百円程度)であったことから購入しようと息込んだものの、店内には複数の会計レジがあるし、なんだか私如きの人間がシャレオツ(死語)な洋服を購入することが滅相もない気がしてしまい、購入せずそのまま退店した。恥ずかしさ、というものもある。誰か友人と行けば、自ずと購入するための勇気も芽生えるのだろうが、孤立無援な状況ではどうにも遠慮してしまうのが悪い癖だ。その購入するものが「洋服」であるために余計、そう感じるのかもしれない。生きる上で必要な食材や、趣味嗜好品ともなれば普通に購入することが出来るのだが、どうしても洋服だけは購入出来ないのだ。

 

 訪れた店がどうにも若者向けの店だったのも理由の一つだが、むしろコレが最たる原因であったとするならば、私自身を「おじさん」のように感じているのかもしれない。そりゃあ昔から「大人びてる」だの「精神年齢がおっさん」だの言われ続けてきたが、さすがに自負してしまったらおしまいだ。

 なんとか意識改革をせねば。