反面教師は、ここにいる

他人の失敗から学ぶ事。それが一番大事。

仕事は何のため?

 唐突なシフト変更があった。

 どうということはない。勤務時間帯が変更されたのなら、それに合わせて生活リズムを調整すれば良いだけの話である。

 だがしかし、よくよく考えてみるとこの状態はどうなのかとも思う。

 

 人が生活するためには、どうしても通貨(お金)が必要になる。これを得るためには、少なくとも通貨を得る活動を行わなくてはならない。最たる例は仕事だ。この仕事を行うことによって、人は生活することが出来るのだ。

 生活をする上で必要な仕事。しかしそこには、仕事に振り回される生活も覚悟しなければならない。今回の私のように、急なシフト変更が入れば、それに合わせて食事や就寝時間などを合わせなければならない。なんだか本末転倒な話にも感じる。じゃあ仕事を選べば(変えれば)良い、もっと自分の過ごしたい生活に見合った仕事にすれば良い、という結論に至るのだが、それはそれで骨が折れる努力をしなければならない。希望に見合う求人があるか、無ければ待つか、給与等待遇面はどうか、求人内容が真実であるか、応募の結果採否はどうなるか。貯蓄にある程度余裕があったり、無一文でも生活できる環境に身を置いている(例えば実家暮らしなど)とか、不測の事態に備えられる恵まれた環境(状況)にあれば慎重に事を運ぶことが出来るかもしれない。ただ、こうした恵まれた環境は多くの場合、持ち合わせていないのではなかろうか。

 では結局、どうする事が適切なのだろうか。仕事に変わる活動を見つけ、それに順応し、生活に困らないほどの通貨を得られるまでに苦労することだ。

 

 だがしかし、肝心な活動の内容が思いつかない。

 いや、もしかすると思い浮かんではいるのだろうけれど、通貨を得るということにより「=仕事」と直感してしまっているのかもしれない。

 まずはこの世知辛い社会で身についてしまった直感力を鍛え直さなければなさそうだ。