心配事は記憶を無くして解決する
神経衰弱。
身体的、精神的な過労によって、注意集中困難・疲労感・焦燥感 (しょうそうかん) など、さまざまな自覚症状を訴える状態。かつてはノイローゼの訳語としてよく使われた。
トランプゲームにも使われるこの熟語は、どうにも良くない意味なのですね。そりゃ神経尖らせて延々とどのカードが一致しているかを覚え続けなければならないわけですし。衰弱してまう。
神経衰弱のゲームと言えば、誰しもトランプをしたことがある世代であれば一度は遊んだ経験があるのではないでしょうか。少なくとも私はありました。もちろん小中学生頃にはテレビゲームも流行りだしていましたけど、それでも友達が多く集まれば(当時は友達がそこそこいました。幸いなことに)、こぞってトランプなぞやっていたものです。その中でルールも明快で誰しもがとっつきやすいのが、神経衰弱。7並べとかだとどうしてもローカルルールやハウスルールなんてのもありますから、そんな本当にあるのかと疑ってかかり喧嘩になるくらいなら、いっそ簡単なものをやろう、と。
当時はまだまだ成長過程ですから、記憶力なんてずば抜けて高かったものです。今となっては数歩歩けば棒に当たるレベル。物忘れなんて日常茶飯事ですわ。いやー困った。
嫌なことや心配事も忘れよう
そんな我々、ストレス社会に生きる現代人の心強い成長の一つが、この物忘れではないか、と気づいたことは結構前でしょうか。「嫌な思い出は記憶に残りやすい」とはよく例えられますけど、それでもうまい具合に物忘れの射程圏内に入れてしまえばちょろいもんよ(何様
何かを数分以上覚えておくためには、短期記憶から長期記憶に情報を移さなければなりません。そうするためのトリックやテクニックはたくさんありますが、この記憶のプロセスについての知識があれば、これを逆に利用して、二度と思い出したくない出来事を意図的に忘れることが可能となるのです。
とは言ったものの、こちらのライフハックさんの記事ばりに科学的かつ聡明な考え方があったわけでもないですし、むしろ感覚的な事象となっているので説明し難いものです。
記事によると、その忘れたい瞬間から身を引き、そして何事も無かったかのように次の行動へ移す、という方法により嫌なことなどを忘れる頻度が減っているように感じる、とおっしゃっています。うむ、確かにそうですな。先の引用文の通り、長期的な記憶にしないための行動をしていれば、思い出すような出来事とならずに済むのでしょう。
私なりの方法
どうせ人間だって動物の一種なんですからね。この長期記憶という輩は「今後同じ失態をせぬよう、留めておこう」というわけでインプットされてしまうものなんじゃあないかと。さすればその失態を日常的なものにしてしまえばええやないの、と思うのです。
具体的には、その失態の次に行う行動を固定化してしまうとか。
失態によって恥ずかしい思いをした!
→とりあえず顔を上げ空(上)を見る
→深呼吸する
→そして何事も無かったかのように過ごす
この顔を上げるとか、そういった「どうでも良い行動」を行うことによって、多少なりとも失態であった、と記憶しなくて良くなるのではないかなと。私も当初はこれっぽいことしてました。なんとなくですけど、確かに嫌な経験として残ることは減ったように感じますね。
慣れてくるとそういった行動をせずとも忘れられるようになります。やったね!
…物忘れが進んでいるせい、とか言わない。