反面教師は、ここにいる

他人の失敗から学ぶ事。それが一番大事。

夫婦、恋人との適切な距離感とか調べました。予定ないのに。

 生涯を共に歩む。

 「結婚」というのは望む人、望まない人、それぞれ考え方があると思います。偶然の出会いによって望むキッカケとなる人もいれば、出会いはあれどまともな人ではなかったなど、人を疑うようになったことから望まなくなった人もいるでしょう。今日ではネットで出会いを見つけることも可能ですが、一昔前までは「それはどうなの?」という方法だったかと見受けられました。いや、だって「ネットで出会いを見つける」というのはどうにも負のイメージが強すぎるのです。しかし最近ではテレビでも頻繁に「婚活」だの「パートナーを見つける」だの、ポジティブな広告も多くされていますし、流行に流されやすい我々日本人は、今となってはそれが「普通」に感じられるようになったかと思います。

 果たして、ネットでAIやデータを駆使した「相性バッチリ☆」な出会いにより生涯を共に歩むこととなったとしても、その後成功するかは分からず。いえ、むしろこれまでの「偶然出会った!これが正に運命というものであろう!」という根拠なき奇跡が不適当であった、と実証されてしまうのか。極論、どっちでも良いと思うのですが、まぁ世の中の移り変わりって、面白いですよね(白目

 それにしても導入が長く堅苦しい。なんとなならんのか。ならんのか。

 

 

 

「夫婦は共にあるべき」ではないレアケース

 こちらの記事様が面白いです。あ、「面白い」というのは別に嘲笑しているわけじゃあないんです。ご理解を。

 なぜ夫婦一緒に老人ホームに入所して「大公開大後悔」しているのか。ちょっと要点をまとめますと

 認知症の症状が出始めた妻の世話に疲弊している夫。「介護付き老人ホーム」へ入所すれば介護付きで現状から開放される!と思い、「夫婦は一緒が良い」という考えのもと、二人部屋に入所。

 ところが、夫としては周囲の入所者も認知症傾向で話相手もいず、さらに妻の認知症が悪化気味であるため妻から離れる(部屋から出る)ことも出来ず、開放されるどころか「閉じ込められているようだ」と嘆くほどに。

  なんとまぁ、老人ホーム入所は逆効果だったわけです。

 記事様では色々と原因を指摘していますが、この中でも「夫婦は必ず同室が良いわけではない」というものが際立ちます。今回の例ですと、認知症傾向にある妻と介護出来るほどまだ余裕ある夫を同室にすることは、元気である夫への負担が大きくなる傾向が多い、としています。例え介護付き老人ホームだとしても、とどのつまり自室には妻と夫。さすれば介護のメインは夫に向けられてしまうのです。だって自室に看護師やヘルパーが同席しているわけじゃあないんですもの。

 そう考えると夫婦は共にいるべきではないパターン、というのもあるのです。まぁ極端過ぎる一例ではありますが。

 

 

 

適切な距離感について調べてみましょ

 夫婦の適切な距離感について、気になったので調べてみました。

 時々、相手のことを ”自分のすべてをわかってくれている人・受け入れてくれる人” のように考えてしまう人がいますが、結婚で失敗する人の典型です。 

 夫婦は、それぞれ別の趣味や仕事で忙しくしておいて、一日に一回くらいお互いのことを気楽に話し合うくらいでちょうど良いのです。

 記事様より一部飛ばして引用しました。そもそも夫婦とは別の人間ですし、育ちや趣味、思考だって違います。ゆえにある程度の距離感を保ちながら、気楽に話し合える程度でちょうど良いのだと指摘しています。

 なるほど、確かにそうですね。私も恋人に延々とくっつき回られるのは非常に不愉快極まりないです。どっちかと言うと「ネコタイプ」な私としては、一瞬ちょろっと会話する程度で、あとはグデッと一人でいたいものです。グデッと。わがままかもしれませんけども。

 

 あ、恋人との距離感はまた、別の話でしょうよ。

 

 

度が過ぎることは良くない

 束縛とか、やっちゃあダメ。

 

 

 

 

 

 

 

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