反面教師は、ここにいる

他人の失敗から学ぶ事。それが一番大事。

イライラすることほど無駄なことはないのです(キリッ

 記事を作成する画面には、「プレビュー表示」という機能があります。

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 この機能を使えば作成画面では分からない「作成中の記事が投稿された時にどのように表示されるか」を確認することが出来ます。

 この機能を使って分かったことは、直近10日の記事がバツッと右側に一覧表示されているのですが、なんとまぁ統一性のない事。これが雑記ブログか…でも書く側としては制限が無いので、私はこの形式が好きです。えぇ、好きというのは形式の話です。

 

 

イライラを解消する言葉

 誰しもが一度は感じたことのあるイライラ感。この感情にいつまでも振り回されていると、知らぬうちに疲れちゃいます。私も先日、職場の同僚の職務態度にイラッとし「仕事すれや」と頭の中で激しい憤りを感じていることがありました。すれや。

 そんな怒りの感情は常に、いついかなる時にも着いてくること必至なわけですが、先日のライフハックさんにて「イライラを解消する言葉」というのが掲載されていました。

 

 英語で「Not my monkey, not my circus(ノットマイモンキー、ノットマイサーカス)」という表現があります。(中略)私はイライラした時にこの言葉を唱え、怒りをコントロールしています。

  英語でした。日本人としては少し恥ずかしいものがあります。一人ブツブツ何か言っているかと思えば「のっとまいもんきー…のっとまいさーかす…」とか、あいつ何言ってるんだと思われ兼ねないです。私のような変人であれば、これ以上落ちることは無いので特に口ずさんでも支障はないでしょうけども。

 

 

そういえば…

 先のライフハックさんにも書かれているのですが、「自分でコントロール出来ないこと、変えられないことにイライラしてもしょうがないでしょ」というのは正にその通り。例えそれが自分自身の環境に直結するような、一大事であったとしても、それはもう主導権を握っている何者かが(職場であれば上司とか)しでかしたことであり、それによって例え被害あろうとも仕方のないことなのです。そこでど直球に「いや課長、そりゃあかんぜよ」と申し出たところで「処刑じゃ」と反論なりされて評価は下がるわ苛立ちは更に増すわでろくなことないのです。第一、理解ある人間がそういったコントロール出来ないことをパッと出でする状況のが稀なんじゃあないでしょうかね。あ、職場限定の話ですが。

 

 じゃあどうすりゃいいんだよぅ…という点ですが、そういえば以前になんかあったなと。

 キリスト教なんて全くもって知らないですし、今のところ興味すら無いのでアレですけど、他宗教でも新約聖書?とか使っていれば大抵は「他人に期待しないこと」という内容が書いてあるはずです。

 この「他人に期待しないこと」というのは言い得て妙ですけど、確かに一理あります。先述の例を再び掘り起こしますが、課長がなぜかクソみたいな計画立てて実行したとするじゃあないですか。「なんてクソな計画なんだ!」と思うかもしれませんが、その気持ちや感情というのは「この課長に期待している」という表裏一体となる期待があるからこそ、生じるものなのです。だから最初から「課長は立派かもしれないけど、パーフェクトヒューマンでもあるまいし失敗するんだろうな」という余裕と心意気を持っていれば、そういうことにはなりにくいのです。だって期待してないんだもの、いつかしでかすと考えれば「その時が来おったか」とドンと構えて下剋上スルーできるじゃあないですか。

 なんか最近、口調が荒ぶってる気がしますが気のせいです。

 

 海外で見られる「隣人を愛せ」というのも、実はこの辺によるものだったりするそうです。いや、そんな気がします。

 

 

いつでも心に余裕を

 忙しい日々を送る、我々現代人に今不足しているものは「心の余裕」だと思います。ところによっては「心のゆとり」とか言われてますけど、ゆとりという言葉に良い意味をあまり抱かないわけで、やはり余裕としときます。どうでも良いか。

 余裕があれば苛立つことがあってもノラリクラリと真に受けることもなくなるでしょうし、余裕があるからこそ見えてくるものも、きっとあるはずなのです。

 

 

 

 最後くらいは綺麗に締めないとね!

 

 

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