反面教師は、ここにいる

他人の失敗から学ぶ事。それが一番大事。

年号が変わるので令和の時代がどうなるか考えてみる

 さて、巷ではすっかり年号が話題となっており、さらには年号商戦まで始まっている。もうそろそろ年号発表から1週間経とうとしている頃合いだし、落ち着いてくるとは思うけども、それでもやはり本番は5月から。正式に年号変わった後はどうなるのだろうか。

 

 和暦は世界的に見ても珍しいものだと、いつぞやに見知った。他国ではこういったものはほぼ採用されておらず、それこそ皇族なるものも類を見ないとか。正直情報源をすっかり忘れてしまっているため、あてにはならない。

 

 で、先日発表された新和暦である「令和」。

 平成の時代は昭和の煽りを受け、代表的なものとしてはバブル崩壊からの不景気。挙げ句最近のことではマイナス金利に繋がる。この辺のことは情報通でもないから詳しくは分からないので、これ以上の言及はしないでおこう。墓穴掘るだけだから。

 私は令和の時代、非常に厳しいものになると予想している。いや、厳しいというか、人として非情なものになるのではと思っている。

 というのも、インターネットの普及により対面せずとも文章やビデオ動画によってコミュニケーションを行うことが出来るようになり、「人同士の繋がり」が希薄になっていると実感している。私の場合は学生時代(高校以降)において、このインターネットの波が押し寄せてきている。メール、電話に限らず、ネット掲示板やブログといったものが頭角を現したのが、学生時代だった。mixi辺りのSNSもこの時期だっただろうか。凄まじい勢いでそれらが発達していき、こういった知識や利用が無い人は完全に置いていかれる始末だった。私はというと、どうでも良い方面の知識がぐんぐん伸びていき、気に食わない人(当時いじめられるような立場であったため、その主犯格というべきか)に対して「メールボム」なるものを使用しメールボックスの全データを消させるという卑劣な行為を行っていた。いや、卑劣はいじめてきたほうか。まぁ別に良い。

 そんなこんなで、対面ベースだった交流も次第にネットに重きを置かれるようになっていく。今日だってtwitterやLINEにおける連絡が当たり前であって、「合わなくとも、別に(文章での)会話もできるから」といった理由で会わないことも多い。

 

 この最中、現在普及を待っているもののうち、トンデモな代物がある。「人工知能(AI)」だ。

 AIは人の生活を脅かしかねないと懸念している。確かに普及すれば間違いなく便利な世の中になるだろう。しかし、その便利さにより、これまでの生活が一変する。事務職を筆頭としたルーチンワーク系の職種はAIが担当することになり、職を失う人が増加する。さらにAIを導入した企業と現在同様人によって成り立つ企業とでは、サービス原価にも差が出始め、AIの導入コストが下がった暁には倒産に追い込まれる企業だってあるだろう。政府はきっと、派遣事業と同様「必ず人によって行わなければならない事業」を法令等により縛る必要に迫られる。今はどうか分からないけれど、派遣事業には一種の「聖域」なるものが存在しており、例えば「港湾業務」へは派遣社員を受け入れられないなどの制約が存在している。当時(数年前か)、派遣元責任者研修を受講する機会があり、その際の説明では「昔、役所や国が管轄していた事業だったため」と口頭で説明があった。さすれば行政関連はAIの導入は制約がかかる恐れがある。既に導入されているかもしれないが、そうであれば行政のうち一部分は、この派遣事業と同様制約かかるものもあるだろう(例えば人同士による折衝が必要なものなど)。

 

 少し話が脱線したが、現在でもITは進歩し続けている。どうにも止まる気配がない(むしろあっても困るのだが笑)。どこかのニュースで自動運転技術も2020年代後半~2030年前半において、高速道路で実現するとか見た記憶がある。もう夢の話ではない。

 

 この令和の時代が、「冷和」にならないことを祈るばかり。