反面教師は、ここにいる

他人の失敗から学ぶ事。それが一番大事。

弁証法により「第3の道」を見つけるには読書が必要(戒め

 人は突き詰めて考え、時には諦めることも出来ます。

 それでも、無理難題やらどう考えても答えなんてないような事柄には、そこそこ考えて、自分の中での答えとしていくことだってできます。いい塩梅になったら、そこで自分自身の結論とするのです。

 

 私たちは常に答えを求められています。だからこそ、答えそのものに目をつけること以外の、そもそも導き出す過程の行動にも目をつける必要があるのではないでしょうか。そう私は感じているのです。

 

 

 

弁証法という考え方

 今回のお話はクソ難しいため既に私には理解出来ていないのですが、勿体ないので記事にします(強行

 ということで、まずはこちらをご覧頂きたく。

 ライフハッカーさんの記事です。

 一見すると両立しないふたつの道のどちらかを選ばなければならない状況に置かれた時には、まだ検討していない第3の道がないかどうかを、まずは自問してみましょう。 

  この第3の道を見つけるための手法が「弁証法」というものらしいです。なんだか小難しくなってきました。そういえば以前にも似たような手法だか思考法だかを…

 

 

 ありました。

 でもこれとはちょっぴり違うような近いような。少し詳しく弁証法を見ていきましょう。

 

 

弁証法について、ちょっぴり掘り下げる

 P+Dマガジンさんの記事が分かりやすいと思いました。

 どうやら弁証法とは哲学用語のようです。やばいですね、もう既に頭が痛くなってきました。これは小難しいとかじゃあない、私 に は 合 っ て な い 。でも気になるので進みましょう。

 ヘーゲル弁証法では、モノ(事物)やコト(命題)が「否定」を通じて、新たな・より高次のモノやコトへと再生成されるというプロセスを、「正(テーゼ)」「反(アンチテーゼ)」「合(ジンテーゼ)」という言葉を用いて説明します。 

 テーゼ、アンチテーゼという言葉はたまに見聞きしますし、人によっては歌ったりするでしょう。そう、それです(適当

 ここで言われるテーゼ、アンチテーゼは正に肯定か否定か、という捉え方で良いのでしょうけども、じゃあ合のジンテーゼはなんだろな、という疑問が。

 「花は枯れて実を残す」、つまり、「花は、自身が花であることを否定して実を残す」というように、否定を通じて新たな事物を生み出し、より高次の状態へと導かれることがアウフヘーベン(≒ジンテーゼ)であると考えれば、その醍醐味とは「正」「反」を調停するものとして「より良いもの(合)」が現れることにあたります。 

 先程のライフハッカーさんが言う「第3の道」というのが、このジンテーゼというもののようですね。ところで、引用文中に「アウフヘーベン」という単語が出てきていますけど、これこそまさに私が理解を諦めた要因です。ほんとに分からんばい。概ね「ジンテーゼについて説明する際に用いた単語」として受け取ればええんやな、といった内容で落ち着きました。

 

 

 そして落ち着きすぎて、この先がどうにも理解できず挫ける、という無念のブログ記事中断でございます。いやはや、参った。恐れ入った。年取って知見も少なからず広がっているだろうと思っていたのですが、どうにもそれだけでは理解力はつかないらしいですな。

 

 

 日頃から読書なりして読解力など鍛えていれば、理解出来たかな、と思う次第でございました。

 

 

 

 

 

 ということで皆さんは読書しなさい(何様

 

 

 

 

 

 

 

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