痛みを知れば、優しくなれる。どうしてでしょうね
忘れられない、過去がある。
良き思い出ならば良いものの、それがトラウマ級でどうしようもないほどに深い傷となって残っているクセモノであったり、それほどではないけどどうにも無性に腹立たしい、悲しいものだったりと、まぁ多岐に渡ります。嫌なことは、すぐにでも忘れたいものですな。
その悪い記憶が悪さしおってからに、どうにも性格と言いましょうか、考え方にも少なからず影響があるようですのでご紹介します。
自分自身を蔑み、自己評価を下げてしまう
例えば過去、他人(親や友人、知人などなど)から迷惑であるかのような扱いを受けたとしましょう。するとその扱いを受けた人というのは、「周囲に迷惑をかけていないだろうか」という考え方をとるようになってしまうのだそうです。
すぐに役立つ!心理学講座さんの記事です。
この考え方に至る過程としては、他人から迷惑のレッテルを貼られたかのように、「自分は迷惑な存在である」という心理となってしまい、そして「周囲に迷惑をかけないようにしなければ」と常に気を使いすぎてしまう。そういったネガティブな連鎖となっているようです。
しかし、記事では
人に害を与えてないだろうか?
人に負の影響を与えてないだろうか?
ということを気にするという事は、人に害を与えたくないし、人に負の影響与えたくないと思っている人ってことですよね?これってめちゃくちゃ良い人だと思いませんか?
と、とても前向きに捉えられています。確かにそう思います、周囲への影響など全く気にしない人は意外にも多いものです。
痛みを知り、優しくなる
他人から嫌なことを言われたりされたり。そうすると自分の中では先述の通り、「そうであってはならない」と気を使いすぎてしまいます。それはそれで良いのですが、その副作用と言いましょうか。精神的にも参ってくるじゃあないですか。そうなれば他人に気を使っている場合じゃあないのですよ。
そうなると、必要なことは自分自身へのケアなわけです。セルフケア。過去にどんなに辛いことを言われよう、受けようとも、自分を一番大事に出来るのは自分なのです。もちろん、そこに周囲の理解が加わることで、より一層「あぁ、自分はこのままでも大丈夫なんだ」と思い考えることが出来るようになるものだと思います。
そうして最終的に落ち着き、冷静に、それでいて自分を大事にしつつ他人へ気を使うことが出来るようになった人というのが、「優しい人」なのだと私は今回、気がついたのです。
今回の「痛みを知れば優しくなれる」というのは、これゆえの賜物?なんじゃないかなぁ…と思います。正解かどうかは、分かりませんけどね。
こうして考えると、人間というのはどうにも「性悪説」のがどちらかと言うと有力な気がしますね。残念ながら...。